ぐうたら女の一生。

書きたいときに書くのだ

『正義という名の凶器』を読んだ。


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こんにちは。

 
学生マインドを引きずっているからか働きたくない仕事辞めたいと常に思いながら2ヶ月働いた結果、漠然と「自分ってちっぽけだなー」というような感傷にふけりたかったので、とりあえず図書館に向かってみた。
 
なんとなく本を探してみて、タイトルが面白そうな本を選んで全て借りた。
 
その中で、『正義という名の凶器』を見つけた。

 

正義という名の凶器 (ベスト新書)

正義という名の凶器 (ベスト新書)

 

 

 
まずこのタイトルを見た瞬間、「狂気」じゃなくて「凶器」なんだと思った。
 
そしてそのあと職場の雰囲気が思い浮かんだ。
 
自分(が属する組織)と考えが違う人は村八分にするような雰囲気。
その上で自分は何も間違っていないと言わんばかりの暗黙の強制。
 
私は職場とか学校とかそういう身近な世界の中での「正義と言う名の凶器」かと思ったけど、実際は世間の中にはびこる「正義と言う名の凶器」の話だった。
 
だが中身を見たらおもしろそうだったので即借りた。
 
 
 
簡単にまとめるとこの本では、一昔前に不倫問題で世間を賑わせた塩谷瞬や、生活保護不正受給で大バッシングされた河本準一の話題などを取り上げて、世間的に悪いとされることを正義という名目を使い匿名で徹底的に叩くことへの疑問が書かれている。
 
塩谷瞬や河本のしたことが良いか悪いかは置いておいて…
(私は行為自体はよくないと思うがバッシングしても何もならないと思う)
匿名で大バッシングをするのはその人がした行為やその人自身に羨望や僻みがあるからということ。
 
また、少子化で人生の失敗が許されない時代になってきたことと、欲望をなんでも叶えてくれる近代消費社会によって自分の身の丈が分からなくなり「自分はなんでもできる」というような自己愛が育まれすぎてしまい、精神的な余裕がなくなってきてしまっている。
 
これが正義と言う名の凶器の正体だと筆者は述べている。
 
今本が手元にないので間違っていたら申し訳ない。
 
 
バッシング対象に羨望やひがみがあるというのは、言われてみれば納得したが意外だと感じた。
たしかにこの本にある通り、私だってバッシングこそしてないものの、中学校時代とかモテるクラスメイトを「あいつはブリッコだ」とか思って嫌っていたが、それは私があまりにも恋愛と無縁だったためにその人のことを僻んでいたのだと思う。
 
私は、匿名だから自分の素性を隠して好き放題言えるネットニュースや2chが好きでよく見るが、どんな問題も白か黒かで結論づけたがる最近の風潮に違和感があった。
その正体はやっぱり人々の精神的な余裕の無さだったんだな、ということを理由から再確認できた面白い本だった。